D90が観た画像  edojyo-037

撮影地 東京都千代田区
撮影日時 2016−9−28
作品のタイトル 江戸城の内濠・・凱旋濠
作品の概要 凱旋濠が出来たのは日露戦争の戦勝を記念して出来たことに由来。

江戸時代及び明治時代は、日比谷濠と一体でした。
江戸時代以前は、日比谷入江に面した海岸です。
日比谷入江を埋め立てし、現在の皇居外苑が江戸時代には西の丸を造成し、老中や若年寄りなどの屋敷が建ち並んでいましたが、明治時代には、これらの屋敷が官庁の庁舎や兵舎などに利用され、やがて建物は撤去され、広場化される。
その後、明治21年に「皇居御造営」完成後の事業として、皇居前広場のクロマツなど植栽整備も行われています。

明治39年(1906)に、日露戦争の戦勝を記念して皇居外苑を横断する凱旋道路が造られ、その時、外苑南の石垣の一部を崩して祝田口が造られ、祝田橋(土橋)によって日比谷濠が東西に分断されます。
この土橋を境にして西側から桜田門までを凱旋濠と名付けました。

特に石垣に注目して下さい。
桜田門の土橋の石垣、祝田橋の石垣、日比谷濠のお堀の外側の石垣は、西洋式の石積み方式を採用したものです。

   

   

       

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