D90が観た画像  edojyo-040

撮影地 東京都千代田区
撮影日時 2016−9−28
作品のタイトル 江戸城の内濠・・行幸通り
作品の概要 今では、有っても違和感の無い道路が内濠を分断しています。
分断されたお濠は「馬場先濠」と「和田倉濠」である。

地下鉄の出口(和田倉門交差点)は、「和田倉門」だが、和田倉見附跡や和田倉橋は150mほど北側にある。

江戸時代の情報および明治・大正時代の情報が見当たらないので、言及するのは止めて、大正12年の関東大震災以後での情報から理解しましょう。
-----------------------------------
「行幸通り」は、帝都復興院の関東大震災後の震災復興再開発事業の一環として、皇居の和田倉門から東京駅に通じる幅員73メートルの東京市を代表する広規格道路道路として建設された。
当初は道路中央から高速車線、イチョウ並木、緩速車線、歩道の配置だったが、その後、中央車線は天皇の行幸と信任状捧呈式に向かう外国大使の送迎の車馬が通行する時にのみ使用される専用道となり一般車の通行は禁止された。
その後、中央車線は再整備され、 平成22年(2010)4月12日に歩道兼馬車道として交通開放された。
ただし、行幸や信任状捧呈の車馬が通行する時のみは専用道として一般歩行者の通行が制限される。
-------------------------------------
1923年(大正12年)9月27日 : 帝都復興院が設立され、関東大震災後の震災復興再開発事業による再整備が始まる。
1924年(大正13年)9月:着工。
1926年(大正15年)7月:完成。
2007年(平成19年)4月19日:東京駅中央口交差点から和田倉門交差点までの地下に「東京都市計画道路特殊街路千代田歩行者専用道第5号線」(行幸地下通路)が完成し、交通開放される。
----------------------------------------
下の写真は、和田倉門交差点の皇居側の交通止め場所から、東京駅中央口を臨み、振り返って皇居側を撮影。
道幅74メートル、4列の銀杏並木も有り、両側にはベンチが設置され自由に休憩できるようになりました。

先の東日本大震災では、頑丈そうに見える石垣でも被害がでました。

   

   

       

アクセスカウンター アクセスカウンター アクセスカウンター