D90が観た画像  edojyo-067

撮影地 東京都千代田区
撮影日時 2016−10−4
作品のタイトル 江戸城の遺構・・中之門跡
作品の概要 枡形門の大手三之門の渡櫓門を潜ると、目の前には大きな広場が有ります。右手には本丸への入口である「中之門」があり、左手には「百人番所」が有ります。
「百人番所」は、江戸城内最大の検問所で、長さ50メートルの建物で若年寄支配で鉄砲百人組(単に百人組ともいう)が警備していた。
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百人組には甲賀組・根来組・伊賀組・二十五騎組の4組があり、同心100人ずつが所属して昼夜交替で警備していたのでこの名称がついたという。
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続いて、「中之門」ですが・・・本丸への登城ルートの3番目の門です。
この城門だけは枡形門形式を取らず、左右に長く連なる多聞塀の中間を切って切って櫓を渡した櫓門です。
「中之門」の最大の見所は、「中之門跡」の標石の手前に目を向けると、櫓門の礎石の丸い穴の跡が、4ヶ所(3ヵ所列と1ヶ所)・・丸柱の穴が有ります。
そして、石垣門は巨大石を組み合わせ、きれいに表面加工されたものです。
白い花崗岩は瀬戸内の小豆島や紀伊半島あたりから運び、黒い安山岩は箱根・真鶴・東伊豆から運ばれました。

ところで、諸大名は、大手三之門の下乗橋前で、馬や家来を残して来たけれど、さらに、百人番所で改めを行なうと、また家来を残して、数人の家臣のみを連れて「中之門」を通過します。

「中之門」を潜ると、もう一つの城門(中雀門)が有りますが、本丸御殿まで無防備となります。
よって、中雀門と一体となって、一つの大きな虎口を作り、百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていました。
石垣の上に渡櫓がのり、御弓持御持筒頭与力同心が警備にあたり、その先の大番所は書院番頭の詰所となっていました。

江戸時代には諸侯の大名を圧倒していた巨大門(渡櫓の中之門、左手に屏風多聞櫓、後方には御書院出櫓があったが、現在は土台の石垣のみが残っており)の存在が偲ばれる。

   

   

       

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