乾門は、明治時代になってから建てられた京風の門になります。 徳川幕府の居城(江戸城)であったものが,明治元年に皇居となり,明治21年以来,宮城と称されていましたが,昭和23年,宮城の名称が廃止されて,皇居と呼ばれるようになりました。
明治宮殿は、旧江戸城西の丸に建設されることが決まり、1884年4月に着工、1888年10月に完成し、以後『宮城』と称されるようになります。
しかし、明治宮殿は、1945年(昭和20年)5月25日の空襲で焼失する。
『宮城区域』は、「西の丸」と「吹上」の領域で江戸城の西半分の領域です。
江戸城の残り半分「北の丸」と「本丸・二の丸・三の丸」と「皇居外苑」は、軍隊で使用したため、現在は公園に変貌しています。
この『宮城区域』への通用門となるのが、「乾門」と「坂下門」となり、車の出入りには「皇宮警察」があたっており、一般人は近寄れません。
ただし、新年一般参賀の時と、桜の時期と、紅葉の時期には一般人の通行が可能となります。
なお、宮殿がある西の丸の裏門にあたり、皇居の乾(いぬい)の方角にあるので、「乾門」
と名がついたそうです。 |