作品の概要 |
時折暖かい日もあるが・・、1月末ではまだまだ寒い日が続く。
春節を迎えた大国・中国から観光客も、東京や横浜ならず古都・鎌倉にも旅しているかも。
知名度の高い「鶴岡八幡宮や小町通り」は、ラッシュの電車の中の様であるが、外国人に知名度の低いお寺は静かなものだった。。
東慶寺は弘安8年(1285)、北条時宗夫人の覚山志道尼が開創。
女性の側から離婚できなかった封建時代、東慶寺に駆込めば離縁できる女人救済の寺として、明治に至るまで約600年間、縁切り寺法を守ってきました。
歴史的尼さんに、5世住職・用堂尼と20世住職・天秀尼がいる。
用堂尼は、後醍醐天皇の皇女、天秀尼は豊臣秀頼の娘、豊臣秀吉の孫です。
元和元年(1615)大阪城落城後、徳川家康の命によって、千姫の養女として、わずか7歳で東慶寺へ入った。
この時、家康より「何か願いはないか」と、問われた時に、「開山以来の寺法断絶なきよう」と、『寺例書』がある。花の寺でもある境内には、1月の蝋梅や水仙やボケは終り、2月の紅梅・白梅や福寿草が花開いていました。 |