JR北鎌倉駅から200mほどで「東慶寺」に、さらに150メートルで「浄智寺」に着く、やはり中国人はいないようで、大声での話し声は無かった。 しばらく振りに「浄智寺」の境内を歩いたので、時間もタップリ有り、観光客も少なかったので、新鮮な気持ちで隅々まで撮影してきた。
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第五代執権の北条時頼の三男・宗政が29歳の若さで弘安4年(1281)に亡くなった。
まもなく宗政夫人が一族の助けを得て寺を起こし、亡夫と時頼の孫・幼少の師時を開基として「浄智寺」を建立した。
延文元年(1356)の火災で、初期の伽藍を失うが室町時代には復元した。
戦国時代から江戸時代になり、歴史から忘れ去られるようになり、寺院も寂れてきた。
さらに、大正12年の関東大震災でほとんど倒潰した。 |