江戸時代には、江戸城の「出城」としての機能を持っていた庭園でしたが、その後、将軍家の別邸となり、「浜御殿」と呼ばれていました。
明治維新ののちは皇室の離宮となり、名称を「浜離宮」と変える。関東大震災や太平洋戦争の戦災を受け、御茶屋など数々の建造物を失う。
昭和20年(1945)11月3日に東京都に下賜され、今日に至る。
御茶屋の復元も進み、中島の御茶屋、松の御茶屋、燕の御茶屋と3棟が完了し、そして平成30年3月を目指して鷹の御茶屋の復元工事に入った。
庭園内の復元より、はるかにスピードの速い「汐留地区の高層ビル群」と、
隅田川を隔てた築地対岸の埋立地の高層ビル群に囲まれた景色は、まさに、『江戸時代と平成時代が共存』しています。 |