作品の概要 |
太田道灌は、長禄元年(1457)4月、江戸城に入城する。
当時の江戸城は、現在(徳川期)の江戸城の本丸の一帯で、自然の地形を利用した中世的な城である。
現在の平川門辺りからが登城ルートである。
当時も、現在も「梅林坂」は存在しており、徳川家康が、荒れ果てた「江戸城」に入府した時も平川ルートである。太田道灌は、文明10年(1478)、梅林坂上に「平川天神」を勧請し、菅原道真を祀り、天神社としており、数百株の梅の木を植えた。
徳川家康が江戸城を改造するに際し、慶長11年(1606)に「平川天神」を、平川御門外の現在地に移し地名を平河町とした。
江戸城内のため、江戸庶民には知られざる梅の名所であったが、皇居の一部が「皇居東御苑」として一般公開されてからは、徐々に知名度は向上する。 |