江戸城の二の丸庭園の造園は、慶長8年(1603)に始まり、設計は小堀遠州が関わったと伝えられる。
しかし、明歴の大火で「二の丸御殿と池泉」は失われた。
その後、元禄年間(1688〜1703)になり、「二の丸御殿と二の丸庭園」が再建された。
しかし、慶応3年(1867)二の丸御殿は焼失し、明治時代以降は荒廃する。
さらに、昭和20年の東京大空襲で大きく被災している。昭和43年に皇居の一部を「皇居東御苑」として公開するに当たり、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたもの。
風格のある「諏訪の茶屋」は、もともと江戸時代には吹上御所にあった。
現在の建物は、明治45年に再建されたもので、明治期の茶室風の建物として優雅な外観を持っているため、殺風景な「皇居東御苑」に移築された。
移築の際に、梅の木も5本ほど移植され、茶室の建物とマッチングしている。 |