作品の概要 |
詳細は不明だが、平安時代前期の貞観年間(859〜876年)には創建されていたらしい。
旧福徳村の稲荷神社として奉斎され、社号もこの村名に由来する。
古くは源義家が深く崇敬していたとされ、江戸城を築城した太田道灌も狩りの帰路にしばしば参詣していたという。
江戸幕府開府以前に太田道灌が合祀され、その兜・矢・鏃などが奉納されたと伝わる。
また、徳川家康は江戸入府後の天正18年8月(1590)に初めて参詣し、その後も参詣は数度に及んだといわれている。
昭和19年(1944)には空襲により社殿が焼失し、戦後仮殿にて奉斎されていたが、昭和47年(1972)、旧三井銀行日本橋支店の申し入れにより旧鎮座地を交換、遷座して現在に至る。商業地の日本橋室町に、大きな赤い鳥居を潜ると真新しい本殿が迎えてくれる。
隣接する「福徳の森」では、夜のなると盆踊りが開かれている。 |