『面掛行列と源頼朝の伝説』よりーー
源頼朝は非人頭の娘を可愛がり、身籠もらせてしまいます。
そして、娘のもとにおしのびで通う頼朝の警護を非人たちが引き受けました。
そのような経緯から、年に一度だけの無礼講が許されますが、身分の低い非人であるため、大衆に顔を見せることができず面をつけたのだと伝えられています。
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これが面掛行列の起こりだともいわれ、九人目に孕み女(はらみおんな:阿亀)がいるのはそのためだとも伝えられています。
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鎌倉権五郎景政の命日にあたる9月18日が祭礼日です。13時から例大祭(湯立神楽)が有り、その後に14時15分からお神輿に神様を移し、境内から出発し、14時30分に面掛行列と合流した。
細い参道から大通りに出てから、隊列を作り、笛・太鼓のはやし連中、白装束、少年らのあとに、爺(じい)・鬼(おに)・異形(いぎょう)
・鼻長(はななが)・烏天狗(からすてんぐ)
・翁(おきな)・火吹男(ひょっとこ)
・福禄寿(ふくろくじゅ)・阿亀(おかめ)・女(とりあげ)の面をつけた面掛十人衆が続いて練り歩き、豊作・豊漁を祈願する。
15時22分に天狗を先頭に面掛十人衆とお神輿とお囃子が境内に戻ってきた。 ・・・隊列を作っていた人達はどこかに消えた。(境内に戻らず)・・・
面掛十人衆と神職達が拝殿に上がり、例大祭の神事を完了し、お神輿は飾り物を外し、神輿小屋に納められた。 |