北の丸公園の紅葉 |
江戸城本丸の内濠も2重になり、上州方面の備えのため田安門を総構えとして、北の丸が出来る。
その後この場所は、代官屋敷(関東代官であった内藤清成らの屋敷)や大奥に仕えた女性の隠遁所となり、千姫や春日局、徳川家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷なども北の丸にあった。
田安門といえば、田安家(田安徳川家)も忘れてはいけません。
徳川八代将軍である徳川吉宗は享保15年(1730)、次男・宗武を家祖として田安家を興しました。
宗武の子である松平定信はここで生まれています。
明治維新後、明治政府によって近衛師団の兵営地が設置され、東京大空襲で荒地となり、東京オリンピックを迎え、日本武道館が完成する。
北の丸公園として、一般開放された皇居の一部だが、日本武道館前には、樹齢2〜300年の樹高23メートル、幹回り7メートルの銀杏の大木が黄金の衣を羽織っている。
公園内には、「もみじ山」と洒落た名前が付いているカエデやモミジの林が有り、気象庁発表の「紅葉前線」のために、目安にしている標準木がある。 |
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