D90が観た画像  d90-18006

戌年だから、こんなドラマも いいんじゃない!
撮影日 :  2018−1−7
忠犬ハチ公
忠犬ハチ公の銅像は、「渋谷駅広場」と「文京区弥生一丁目の東大農学部」で撮影した。

秋田犬のハチは、。大正12年(1923)11月に現在の秋田県大館市に生まれ、生後ほぼ50日で東京帝国大学農学部教授の上野英三郎博士(農業工学・農業土木学)に贈られた。
犬好きだった博士はハチを大切に育て、大いに可愛がり、当時は渋谷区駒場にあった農学部への通勤や渋谷駅からの出張に送り迎えをさせていた。当時、上野博士の学生達は教授の愛犬を「ハチ」と呼び捨てにすることをはばかり、「ハチ公」と呼んで敬意を表していた。
飼い始めてから1年半ほどの大正14年(1925)5月21日に、上野博士は渋谷区駒場の大学構内で急逝する。
上野博士には実の子がなく、ハチが博士同様に慕っていた妻の八重さんは、事情により一家の暮らした家を相続できず、大型犬のハチを飼うことができなくなり、ハチは、上野博士に恩のある植木職人に飼われることになった。

ハチは上野博士が長期不在の後は渋谷駅から戻ることを知っていたので、・・・今日は帰ってくるだろう?
次の日も、・・・今日は帰ってくるだろう? と。
ほぼ10年間、朝夕に渋谷駅に通い、改札口から出てくる人々の中に上野英三郎の姿と匂いを探し続けた。

ハチ公は晩年、有名になってから「忠犬」と呼ばれるようになり、戦争と軍国主義の時代にあって恩を忘れぬ犬として修身教育に利用された。
秋田犬の保存運動をしていた研究者の斎藤弘吉氏が、渋谷駅に毎日通う老犬のハチのことを朝日新聞に投稿して記事になり、ハチ公が世に知られることになり、昭和9年(1934)渋谷駅前にハチ公の銅像が出来た。
昭和10年(1935)3月8日・・・「忠犬ハチ公」渋谷にて死去。
人々の募金によって作られたこの銅像は、その後、戦争のための金属供出で溶かされ、わずかな金属塊となった。

現在、渋谷駅前に座っているハチ公は、戦後の昭和23年(1948)8月15日に作成された2代目銅像である。
ハチ公の没後80年にあたる2015年3月8日に,大好きな博士にとびつき自分の顔を思いきりおしつけて、尾を振る・・在りし日の2人の物語りを銅像にして、当時の駒場から移転した文京区の東大農学部の構内に、ハチ公と上野英三郎博士像が設置された。

余談だが、夜間はライトアップされており、向かい側の建物に「ハチ公のシルエット」が出来るので、是非ともご覧下さい。