D90が観た画像  d90-18009

戌年だから、こんなドラマも いいんじゃない!
撮影日 :  2018−1−7
水天宮の「子宝いぬ」
まずは「水天宮」の歴史から・・・・、全国水天宮の総本宮は、今からおよそ700年程前に建立されたもので福岡県久留米市にある。
『御祭神』は、天地創造の神の天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と、水難・除災の神の安徳天皇を主神とし、併せて女難除けの神の建礼門院、そして二位尼(安徳天皇の母と祖母)を祀っている。

江戸時代、参勤交代のために江戸暮らしが長くなるため、久留米藩主有馬中務大輔は、文政年間(1818)に芝赤羽の上屋敷に久留米の本宮から祭神の分霊を勧請する。
明治維新をむかえた新政府の計画から、海に近い有馬家の土地が海軍の使う場所に決まり、有馬家の上屋敷は明治元年(1868)に青山に移って行き、明治5年になって日本橋・蛎殻町二丁目に、邸内神の水天宮と共に再移動し現在に至っている。

徳川五代将軍綱吉(1680−1709)の時、有馬家七代目則維は大いに優遇されて、21万石の大名に昇格した。
当時、若い殿様であった則維は、将軍に可愛がれ、犬公方といわれた将軍が可愛がっていたお犬様を頂くことになった。
芝赤羽のお屋敷の朝の散歩には、いつも連れて歩くなどしていたそうだ。
そして、ある年の参勤交代の時になると、そのお犬様は、駕籠に乗った殿様のわきに付いて離れず、追われても追われても屋敷には入らなかったそうで、やむを得ず、犬もお供してお国に帰ることになった。

一方、神社に伝わる話では、明治天皇が典侍(女官)中山慶子のお腹の中にいる時、お腹の子の安産祈祷を願ってきたとか。
以後、宮中の官女達が多く参拝するようになり、これを伝え聞いた江戸の一般庶民も競って水天宮を参拝するようになり、それ以後急激に信者が増えたと伝えられている。
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水天宮の境内には親子の犬の銅像があります。
お産が軽く多産であることから安産の象徴とされる犬。
その犬にあやかって作られたのが「子宝いぬ」で、親子の犬の像の周りには十二支の文字が刻まれた石がはめ込まれており、その十二支の石の中から生まれ年の干支を撫でながら祈願すると、安産や子授け、子供の無事成長が叶うとされている。
なぜか分からないが・・・・「子連れ河童」もいた。