D90が観た画像  d90-18017

戌年だから、こんなドラマも いいんじゃない!
撮影日 :  2018−1−10
「南極に置き去りされた15頭」
第一次南極観測隊は、昭和31年(1956)11月に、総勢53名と22頭のカラフト犬と共に東京湾より南極観測船「宗谷」で南極へ出発。
隊員のうち11名が第一次越冬隊として選抜され、この中で菊池徹と最年少の北村泰一が犬係を任じられる。
昭和基地に到着すると、病気などでそのまま帰国する3頭を除いた19頭の犬たちは、1957年の第一次越冬隊において犬ぞり引きなどに使役された。
越冬中に2頭が病死、1頭が行方不明となった。
また雌のシロ子はジロなどとの間に8頭の子を産んだ。

昭和32年(1957)12月、「宗谷」が南極付近に到着した。
昭和基地にいる第一次隊員と入れ替わって越冬するため、宗谷は第二次越冬隊を乗せていた。
しかし、例年稀にみる悪天候にみまわれ、「宗谷」は昭和基地には到着できなかった。

昭和33年(1958)2月6日、46日ぶりに外洋への脱出に成功し、7日、アメリカ海軍のウィンド級砕氷艦「バートン・アイランド」号と会合。
悪天候が1週間続いたため、アメリカ海軍の支援を受けて、第二次越冬隊の送り込みを断念し、第一次越冬隊の11名のみを救出した。
南極生まれの子犬8頭とその母犬のシロ子はなんとしても連れ帰ることにしたが、15頭の犬は首輪で昭和基地付近につながれたままにされた。

昭和34年(1959)1月14日に、第三次越冬隊のヘリコプターにより、上空から昭和基地に2頭の犬が生存していることが確認される。
「兄弟のタロとジロ」は、基地に置いてきた犬の食料や死んだ犬を食べた形跡はなく、アザラシの糞やペンギンを食べて生きていたらしい。
基地には7頭が首輪につながれたまま餓死しており、他の6頭は首輪から抜け出したが消息はつかめない。

南極に置き去りされた15頭のブロンズ像は、1958年に完成した「東京タワーの下」に日本動物愛護協会が、1959年に設置した。
2020年の東京オリンピックが決定した2013年に、15頭のブロンズ像の追い出し(撤去)が決まる。
理由は、「2020年の東京五輪招致を応援するため、像の場所を使って招致のシンボルマークを花で描くことになったから」。

夕暮れ時にJR立川駅に着き、モノレールに乗り換えて、「高松」で下車、立川市緑町にある「国立極地研究所南極・北極科学館」の西側に到着。
15頭は漆黒の闇に包まれる前の昭和基地から遠く日本の方角を眺めている。