D90が観た画像  d90-18075

東京都あきる野市五日市  五日市郷土館と旧市倉家住宅
撮影日 :  2018−3−10
五日市郷土館と古民家の雛段
平安時代や鎌倉時代は、京と陸奥・武蔵・常陸・上野・下野・相模の国および鎌倉に通じる山間の街道に過ぎなかったものの、徳川家康の江戸入府に伴い江戸の城下町が木材や木炭の大消費地になった。
青梅地方や五日市地方への鉄道が伸びるまでの間は、陸路や水路が運搬の手段だった。

都市の西洋化が進む中、奥多摩の石灰石を東京に運ぶために「青梅線」が明治時代半ばに開通、五日市線は大正時代末期に開通。
よって、五日市地方は、江戸時代や明治時代に「林業・炭焼き・養蚕の産業」が盛んで裕福な農家が多かった。

「旧市倉家住宅」は、かつてあきる野市五日市566番地にあり、平成元年と平成9年に行った文化財調査では、江戸時代末期の構造・形式をよく残し、建築の質の高さと当時の生活様式を伝える歴史資料として高く評価されており、また、養蚕技術の変遷を伝える構造や改造跡があり、保存状態も極めて良好であったことから、平成10年に市指定有形文化財(建造物)となり、平成11年にあきる野市に寄贈された。
同じ敷地には、「五日市郷土館」が有り、大昔のマンモスの化石などや昔の生活用品が展示されている。

寄贈された雛人形も江戸・浅草橋から購入した物もあったが、昭和時代半ばまで、五日市(現在は廃業)や日の出町(現在も生産)に人形制作業者がおり、地元では、娘が嫁ぐ時に嫁入り道具の一つに「おくり雛」を買い求めた風習があった。
当然、初孫の時には7段飾りのお雛さまが買い求められた。
よって、同じような顔付の雛人形の展示が多かった。