廃墟跡の山桜 |
山手エリアは、横浜が開港した当時、外国人居留地に定められ、大正から昭和初期にかけて外国人が住む洋館が多く建てられた。
途中、関東大震災では壊滅的な被害を被ったが、洋館の復旧は続き、現在は50棟ほどが残っている。
しかし、太平洋戦争で日本を制圧した米軍の将校達の住居となり、焼け野原の横浜や東京が復興されると丘の上の生活より、平地の便利の良い土地へと移住して行く。
その後、幾つかの西洋館は横浜市に譲渡されたが、戦後74年も経てば、住民のいない建物は朽ちて、廃墟と化している。
主を失った桜の木も、春になれば、土台として積み上げられた赤レンガ廃墟を見下ろしながら咲いていた。 |
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