D90が観た画像  d90-18119

神奈川県鎌倉市岡本1丁目5−3 大船観音寺
撮影日 :  2018−3−29
大船の観音様とさくら
大船観音寺の公式ページより「沿革」に関して読み解くと・・・・・、
昭和2年2月に、「護国大観音建立会」の趣意書を作成し、観音像建立費15万円、付属施設建設費5万円を目標金額とする寄付金の勧募が始められた。

昭和4年4月14日、起工式が行われ、工事が着手された。
「日本一の大観音像建立の工事は、先般来、地均し工事中であったが、数日前、地均しが完成したので、14日愈々、起工式を行ふことになった。
立像台石高さ30尺、身長百尺の鉄筋造といふ偉大なもので、奈良東大寺に在す日本一の大仏さんに約2倍の高さである…」という記事は、当時の『横浜貿易新報』です。

しかし、建立予定地が丘の突端で地層が東側斜面に崩れる地層であることから、当初の計画である立像建立を変更しなければならないこととなり、坐像を検討したが地形との調和がとれないことから、胸像に変更されたといわれています。

ところが、世界恐慌、太平洋戦争と続き物資不足から延び延びとなった観音建立も意気消沈。

昭和32年5月18日、起工式が行われ、昭和35年4月28日に落慶式が行われている。
総工事費は4千数百万円だそうだ。
当初は、観光名所としての観音様だったが、その後、昭和56年には「宗教法人大船観音寺」に改称、総持寺の系列を組む曹洞宗の仏閣となった。

今回は、桜の花と観音様のコラボ撮影なので、大船観音寺に上っていないが、白衣観音の胎内では鎌倉市内の戦没者の位牌が祀られ、毎年鎌倉市及び遺族会により慰霊法要が行われており、また、神奈川県原爆被災者の会においても被爆25年の記念事業として原爆犠牲者慰霊碑建立して、現在も毎年9月末に、この慰霊碑の前に神奈川県在住の原爆死没者の関係者が集い、慰霊法要を行なっている。

1999年のホームページ作成時からの作品集です。
		画面表示のためのツールも技術習得の為にいろいろと取り込み、
		数多くの技法を習得し、シリーズ作品集として、管理しております。