「御感のフジ」(ぎょかんのふじ)の名付け親は、大正天皇が皇太子時代に・・・西村邸前を通過した時に、フジの花の下に召馬が駆け込み、肩に花が散りかかってしまった。
すると皇太子は「見事な花に心なきことよ」と感嘆されたことから「御感の藤」(ぎょかんのふじ)と名付けられたのだと伝えられている。そもそも、この藤の樹齢は・・・・藤棚の前に2つの看板が有り、石碑には「フジ」と、板看板には「藤」と、統一性の無い表記。
しかし、昭和59年に「かながわの名木100選」に制定された時に、「推定樹齢180年」としているので、今年で樹齢215年としよう。
もともと、小田原城藩主の大久保氏が小田原城二の丸御殿で鉢植えしていたもの。
明治維新後、市内板橋の森元氏の手に渡り、次いで明治16年に市内浜町の西村氏の手に渡っていたが、大正11年に小田原保勝会の人々により現在地(小田原城お濠脇)へ移植された。
私は学生時代(昭和38年)を、小田原から電車で30分の所の秦野市で過ごした。
よって、小田原城はデートコースでも有り、50年以上も前から「御感の藤」を見ているが・・・・昔の房の長さは、もっと長かったような気がする。
現在の藤棚は、目測25メートル*16メートルで、藤の長さは1メートルほど。 しかも根元の枝分れはすごい古木感タップリだ。 |