D90が観た画像  d90-18207

東京都世田谷区若林 4−35−1
撮影日 :  2018−6−30
茅の輪くぐり・松陰神社
昨年(2017年)は、東京都の「茅の輪くぐり」で6ヵ所をめぐった。
(愛宕神社,乃木神社,日枝神社,築土神社,東京大神宮,鳩森八幡神社)
今年もネット検索して、「松陰神社」と「代々木八幡神社」と「須賀神社」で、「茅の輪くぐり」が出来そうだ。

海老名駅からだと、小田急線で「豪徳寺駅」で下車して、世田谷線に乗り換える。
運がよければ「猫電車」にも乗れる。
最寄りの下車駅はそのものずばり、「松陰神社前駅」。

実は世田谷線のこの界隈は、54年以上も昔から知ってはいるが、下車するのは初めてである。
山口県萩市の『松下村塾』は50年も昔に2度ほど訪ねているが・・・・近藤がらみで「新撰組」派の私、龍馬派や松陰派で無いので、興味が無かった。
しかし、「茅の輪くぐり」が出来るとあらば話しは別物。
「夏越大払式(なごしおおはらえしき)」の一部始終を拝見したが、昨年他所で見たものと比べると、だいぶ略式であった。

ところで、吉田松陰と世田谷区若林の繋がりが解せなかった。
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吉田松陰は、小伝馬町で処刑後、南千住駅周辺の小塚原に埋葬されたと伝承され、回向院(延命寺)へ改葬され、その後、旧毛利藩主毛利大膳大夫の抱屋敷(世田谷の現在地)に墓を移す。
明治の世になり、明治15年に長州藩士吉田松陰の旧藩士門弟らが中心となって、吉田松陰の墓のあった当地に堂を建てて創建しました。
昭和の初め社殿は大修理され、府社(東京府)に昇格する。
そして、「松陰神社」となり、境内には、吉田松陰をはじめとした松下村塾の子弟の墓、松下村塾の模擬、石燈籠があります。

1999年のホームページ作成時からの作品集です。
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