現在、古河電気工業の迎賓施設として維持管理されているため、庭園については、旧陸奥邸で触れたので割愛する。
大隈重信は明治時代に総理大臣を2度経験しているため、大磯の別荘での宴会が多かったようだ。
玄関前には、車寄せの屋根が有り、雨天でも濡れる事はない。
玄関を入ると、大きな丸鏡、小さな応接間を通り抜けると、大きな広間が目の前に、「富士の間」と名付けられている。
現在は、旧伊藤博文邸(滄浪閣)が立入禁止のため、歴史的遺品を「富士の間」に移設展示している。増改築の渡り廊下を渡ると、「神代の間」へ・・・・、2間続き部屋は、貴重な「神代杉」で、障子のさんや杉板襖や天井板をふんだんに使用した部屋となっていた。
ところで「神代杉(じんだいすぎ)」とは、樹齢1000年の杉の木が箱根山の噴火により、降り積った火山灰に埋まり土中で数千年の眠りについている。
有名なのは、箱根の芦ノ湖の湖底に立木のままの神代杉がある。
「神代の間」は、書院風の部屋で大隈重信の書斎として使っていたもの。
床柱は面取のサルスベリが用いられており、床の間には欅の一枚板や竹の床柱が用いられている。 |