D90が観た画像  d90-18346

静岡県三島市一番町
撮影日 :  2018−11−16
楽寿園に文化財の『楽寿館』
「菊まつり」を見るために入園料金を払った。
「菊まつりの夜の部」が始まるまでの時間つぶしに、15時30分の2分前、園内に有る「楽寿館」の玄関前に並んだ。
本日6回目の見学者は4名。
皆が玄関内に入ると、係りの人が玄関の鍵を閉めた。
よって、リュックやカメラ、一脚、上着などを、床に置いたまま、係りの人に連れられて、館内をくまなく見て廻る。
所要時間は30分。

日本庭園「楽寿園」中央にある、小松宮彰仁親王の別邸として建てられた、「明治期建築の京間風高床式数寄屋造り」の建物。
「楽寿の間」には、ふすま、格天井、杉板戸などに210面もの装飾絵画が、野口幽谷ら明治20年代の日本画の第一人者たちによって描かれている。

主室はふすま絵「千羽千鳥図」、80面の花の格天井絵が描かれ、従室にもふすま絵と花の80面の格天井絵が有る。
その他に、銀箔張りで出来た書斎「銀の間」、茶室、洋風ホールの部屋があり、それぞれを渡り廊下で繋げた構成になっている。

内部は撮影禁止なのだが、楽寿園の受付で「楽寿館の小冊子」が販売されているので、有る程度は見学して来た部屋の紹介はできる。
また、当時の建築様式や建築資材を、「埼玉の遠山邸」「青梅の津雲邸」「世田谷の小坂邸」で知る事が出来る。
「杉板に描かれているふすま絵」も「日光田母沢御用邸」で知る事が出来る。

『楽寿館』は、明治44年(1911)に李氏朝鮮最後の皇太子である李垠(り・ぎん)の別邸となり、その後、昭和2年(1927)には伊豆出身の資産家・緒明圭造へ売却。
昭和27年(1952)には三島市が購入し現在の姿をとどめている。

なお、小松宮彰仁親王の銅像は、上野公園に有ります。

1999年のホームページ作成時からの作品集です。
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