D90が観た画像  d90-18348

東京都港区白金台
撮影日 :  2018−11−20
日本庭園・八芳園が真っ赤になる
春には「さくら」や「つづじ」で彩られる八芳園の日本庭園、秋には、もみじ115本が庭園を赤く染め上げる。

今年(2018年)のテーマは、「TOKYO RED GARDEN」。
真っ赤に染まるもみじ115本を、さらに紅く染め上げるライトアップで、古来より長く楽しまれてきた紅葉観賞に新しい息吹を吹き込み、11月1日から12月6日までの期間中は、特別にあつらえた朱傘や赤い提灯、灯籠も登場し、紳士・淑女のためにワインや料理も振舞われる屋台も登場。

立派な門を入ると、大久保彦左衛門が将軍家康から見舞いとして授かった盆栽の松、後に地におろしたと伝わる「樹齢400年を超える老松」がで迎えてくれる。
大久保家の屋敷の持ち主はその後不明だが、 幕末の白金の絵図によれば、島津式部の抱屋敷、さらに松平薩摩守の下屋敷になったとか。
そして明治の末には、実業家渋沢喜作が所有し、老居の地と考え居を構えた。
その後、白金台がにぎわいをみせる様になり、騒がしくなったと、売却する。

日立製作所などの基礎を築いた久原房之助は、第一次大戦後、一躍新興財閥に仲間入りし、後に政界に進出すると政友会の中枢にあって表裏に活躍する。
庭内に足を運んだ久原は、「樹齢400年を超える老松」が気に入り、購入を即決した。

戦後、久原は、銀座や築地で料亭などの経営を手がけていた長谷敏司に、海外からの旅行者(賓客)向けに、日本庭園を生かした本格的な料亭の共同経営を持ちかけ、自ら「八芳園」と命名し昭和25年(1950)に創業。
数年後全面的に長谷敏司の所有となり、経営が本格化した。
八芳園(はっぽうえん)の敷地は、1万2000坪の庭園のあるレストラン・結婚式場である。

1999年のホームページ作成時からの作品集です。
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