D90が観た画像  d90-18351

神奈川県鎌倉市長谷3−2−11
撮影日 :  2018−11−24
旧山本条太郎別荘『無畏庵』の特別公開
過日の大磯の庭園めぐりの際に、「鎌倉に非公開の別荘」が有ることを知る。
山本条太郎が贅の限りを尽くして建てた別荘『無畏庵』が、鎌倉・長谷の標高40メートルの高台に現存している。
まずは、山本の素性は、慶応3年(1867)に福井藩士・山本条悦の長男として誕生。 母みつは渡辺謙三(吉田茂の養父)の姉である。
共立学校(現・開成中学)を卒業すると三井物産横浜支店の丁稚小僧となり、1年程で東京本店に異動し米係りになった。
「実業家・政治家」で南満州鉄道総裁を務めている。
別荘の土地は、明治34年に「出版社・金港堂の創設者・原亮三郎」が一万坪の広大な土地を取得し、明治38年に原の令嬢(山本の奥さん)に土地を譲る。
山本は、東京・赤坂に本邸を建て、大正7年に鎌倉に別荘を建てる。
別荘のために、木材・敷石・モミジなどの植木を京都から取寄せ、職人も京都から呼び寄せている。
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大正7年といえば、世界大戦の影響により日本の商品輸出が急増した「大正バブル」状態となっていた。
特別公開された建物を取材する以前に、埼玉の遠山邸,世田谷の小坂邸,青梅の津雲邸,三島の小松宮邸を取材しているので多少の事では驚かない。・・・これらの建物も、京都の資材と京都の職人たちと共通点が多い。
木材(北山杉)を吟味され大工の力量を駆使した極めて優れた京風の数寄屋建築で有り、庭には大きな丸い石・伽藍石を用いている。
屋根は特長有る「むくり屋根」方式を採用している。・・・代表されるのは、「京都の桂離宮」の屋根で有る。
昭和11年に山本は他界する。
東京の本邸が東京空襲で焼失したため、鎌倉の別荘が本邸となる。

昭和31年に男爵・九鬼家(九鬼水軍の末裔) の手に渡り、茶室建屋を増築される。
九鬼が別荘を手放す時に、条件を付けた。・・・・「料亭などに利用するのではなく、建物の文化的価値を理解し、茶室などの現状維持としてくれる方へ」・・・で、昭和57年に「宗教法人の神霊教」の教母の表千家茶道の文化研修活動の場として渡譲された。
この別荘は、持ち主が三人に移って行ったが、山本や九鬼の茶室に想いを込めた建物は大正・昭和・平成と100年を過ごしてきた。
時は秋、京都から移植された「もみじ」も12月になれば、京都風の紅葉となるだろう。
台風21号の塩害により、ヤマザクラの花が咲いていた。
なお、当初の土地一万坪は、半分売却され、現在は5千坪で、1000本の樹木が生い茂っている。

1999年のホームページ作成時からの作品集です。
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