D90が観た画像  d90-18369

東京都墨田区両国三丁目 「本所松坂町公園」
撮影日 :  2018−12−08
「吉良祭と元禄市」
暮れも押し詰まってくる12月14日となると、脚光を浴びるのが「赤穂藩の47人の義士の討ち入り話」だ。
12月14日の「泉岳寺義士祭」は、2年続けて取材しています。  ⇒ クリック
一方、主君(吉良上野介)を守り犠牲となった20名の家臣がいる事を忘れてはいけない。

当初、吉良邸は江戸城近く(呉服橋)にあったが、赤穂藩の復讐計画の噂を知った幕府は、吉良邸を川向こう(隅田川の東側)の両国に移転させた。
引越してから1年と数ヶ月で「仇討ち事件」は起きた。  その後、主なき吉良邸は幕府に没収された。
明治・大正・昭和に両国界隈は商業化が進み、吉良邸跡は切り売りされて消滅して行く。
昭和9年、両国三丁目町会有志が発起人となって、邸内の「吉良公 御首級(みしるし)洗い井戸」を中心に土地を購入し、同年三月に東京市に寄付し、貴重な旧跡が維持されることになった。
現在、「吉良邸跡」として残る本所松坂町公園は、二十九・五坪(約98u)で、当時の八十六分の一に過ぎない。

園内にある吉良上野介の座像制作に当たっては、愛知県吉良町に吉良の菩提寺華蔵寺があり、上野公五十歳の時、1690年頃自らが造らせた寄木造の座像が現存しているので、その姿型をそっくりに、また愛知県歴史編纂委員会の調査資料を参考に制作したそうだ。

毎年12月第二週の土・日の2日間、討ち入りの舞台となった、吉良邸跡地を中心に、『吉良祭と元禄市』を開催している。
会場では、衣料品や日用雑貨、食品などをはじめ、観光コーナー、ちゃんこ屋台、野菜の直売など、80店舗を超える露店が立ち並び、甘酒の接待や振舞酒による、歳末助け合い募金を行うなど、年末の風物詩となっている。

1999年のホームページ作成時からの作品集です。
		画面表示のためのツールも技術習得の為にいろいろと取り込み、
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