D90が観た画像  d90-18377

東京都目黒区下目黒  「雅叙園・百段階段」
撮影日 :  2018−12−08
「創業90周年特別企画・百段階段の清方の間」
雅叙園・百段階段を昇り始めて六番目の部屋は、清方の間(きよかたのま)と言う。
この部屋も、二部屋続きになっており、茶室として設えた独特の部屋となっている。
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この部屋の絵画を担当したのは、鏑木 清方(かぶらき きよかた)・・・明治11年、東京・神田佐久間町に生まれる。
父親は、条野採菊といい、ジャーナリストでありながら山々亭有人と号した幕末の人情本作家であった。
13歳(明治24年)、浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門した。
17歳ころから清方の父親・採菊が経営していた「やまと新聞」に挿絵を描き始め、十代にしてすでにプロの挿絵画家として活躍する。
清方21歳(明治31年)の第5回日本絵画協会展に初めて大作を出品し、以降、美人、風俗画家として活動を始めるが、青年期に泉鏡花と知り合い、その挿絵を描いたことや幼少時の環境からも終世、江戸情緒及び浮世絵の美とは離れることがなかった。
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明治27年に母方の家督を継ぎ鏑木姓となる。

さて、雅叙園の「清方の間」について・・・・2つの部屋は、真ん中の襖戸を外せば、大きなお座敷となるが、基本は独立した茶室造りになっている。
廻り廊下を通って、それぞれの部屋には出入り出来る。
「奥の間」の床柱は、直径一尺五寸(約50センチ)の北山杉の天然総絞丸太で、当時普通の家が5軒も建てられる値段が付いた代物。
天井には、扇面形杉柾板を使用し、四季草花を描き、欄間には四季風俗美人画を描いている。

手前の「次の間」の天井の造りも茶室用に、工夫がなされている。 ・・・御釜で湧かした湯の蒸気が室内に篭らないように、スライスした北山杉を編みこんだ網代天井としている。
欄間は絵を大きく描いてもらうために、大きめに作られている。
また、美術館に貸出しができるように取外し可能になっている。
描かれている欄間絵は、雅叙園付近の「目黒名所風景図」で有る。
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関東大震災と第二次世界大戦による空襲という2つの災害によって、清方がこよなく愛した明治時代の古き良き東京の風景は消え去ってしまったが、清方は自分がこよなく愛した東京の下町風俗や当世風の美人を終生描き続けた。
空襲で東京の自宅が焼け、終戦後の晩年は鎌倉市雪ノ下に住んだ。・・・昭和47年に93歳で他界する。
(自宅跡は鎌倉市鏑木清方記念美術館)となる。

1999年のホームページ作成時からの作品集です。
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