D90が観た画像  d90-19130

神奈川県相模原市緑区三ケ木962
撮影日 :  2019−4−4
山寺の裏山に500本の桜
相模原市に吸収される以前は、『津久井町』と言う。富士山(山中湖)を源流とする相模川の中流域だが、「城山ダム」建設により、「津久井湖」で知名度が上った。
津久井地方一帯は、鎌倉時代の支配下でも有り、相模川を利用して、鎌倉のお寺の建築用木材を調達していた。
鎌倉幕府の倒壊後(実権は執権・北条氏が取る)、室町幕府の時代にも、小田原に城を築き関東地方を支配下に置いた「後北条氏」の時代にも「山城・津久井城」の城下であった津久井の町・・・だが、1590年(天正18)の小田原の役で豊臣軍の攻撃を受けて降伏・開城し、その後、廃城となった。

おそらく、鎌倉時代のなごりから・・・室町時代(文安年間)に「建長寺末久栄山長寿庵」を建立、隣寺に根小屋雲居寺末西嶺山成就庵が建立された。
しかし、大正2年、成就庵焼失後、両寺協議して合併を決定し、寺号は長寿庵の“長”と成就庵の“成”をとり、“長成寺”と号することとし、山号もまた一字ずつとり、西嶺山の“西”と久栄山の“栄”をとり、“西栄山”と称することとした。・・・とのこと。
平成26年4月6日、臨済宗建長寺派 吉田正道管長猊下を導師にお迎えし、落慶法要を執り行なう。

なぜ、私がこのお寺に取材に向かったかと言うと・・・本日の主取材地「相模湖プレジャーフォレストの夜桜」へ行くためのバス停「三ッ木」を経由するため。
JR橋本駅から路線バスで50分、徒歩10分で「長成寺」に辿り着く。
「津久井観音霊場第11番札所」には、墓地の上半分に桜の木が500本植樹されており、壮観な眺めだ・・・。
さらに、桜山に登れば、中腹から見える山並みが『寝姿観音』に見える(写真36番)とかで、最近のインスタをにぎわせている。

1999年のホームページ作成時からの作品集です。
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