D90が観た画像  d90-19152

神奈川県鎌倉市笛田 佛行寺
撮影日 :  2019−4−28
鎌倉一の「つつじ庭園」
世の中「10連休」で、古都・鎌倉もハンパ無い大混雑である。
しかし、「ここも鎌倉なの?」と眉をひそめる鑑賞者の少ない場所があった。
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まずは、JR大船駅で下車して、湘南モノレールに乗り換えて、「深沢駅」で下車。
道のりは1.09キロメール(徒歩15分程)だが、「仏行寺」なる看板が現われるのは、最後の100メートあたり。
よって、事前に徒歩ルートを調べておかないと、辿り着けないコースだった。
帰路は、JR鎌倉駅まで行ける路線バスを選んだので、お寺から600メートル(徒歩7分)で、「梶原口」バス停に着く。
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まず、鎌倉一と言われる「つつじ庭園」は、佛行寺の本堂裏手に、標高40〜50メートルの斜面を彩るつつじ。
早咲き、遅咲きと混ざっているので、全体が一緒に色づく事はないそうだ。

ところで、佛行寺のある場所は「深沢地区一帯」は、鎌倉幕府の創成と基盤整備に多大な貢献を果たした梶原景時を始めとする梶原氏ゆかりの地域である。
梶原景時は源頼朝亡き後、有力御家人たちに敵対視されたので、息子(梶原景季・かげすえ)とともに鎌倉を去ったが、駿河において正治2年(1200年)討ち取られた。
これをきいた景季の妻、信夫(しのぶ)はこの地において自害。 そして梶原一族は途絶えた。
村人たちは信夫の霊を慰めるため明応4年(1495年)、仏性院日秀に供養を依頼し、この地に庵を結んだのが佛行寺の始まりだ。

裏山の山頂付近には檀家のお墓が50基以上あった。
そして、円形古墳らしきものがある。
源太(げんた)塚といって、鎌倉時代の武将梶原源太景季(かげすえ)の片腕が埋められていると伝わる。

伊豆半島,神奈川,東京の「つつじの名所」を別表(首都圏のつつじの名所)にしています。

1999年のホームページ作成時からの作品集です。
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