神幸祭 (しんこうさい)を初めて取材した。
神田明神の創建は、天平2年(730年)で、江戸城の大改造で外神田の現在地に遷座されたのが元和2年(1616年)、よって、本年(2019年)は『ご遷座400年』を記念し、さらに元号「令和」と重なり、奉祝大祭となった。徳川将軍が上覧した「江戸時代より続く全国的に有名なお祭りの神田祭」は、交通量の多い国道1号線を交通止めして「三越本店」前に「神幸祭の行列」と、「附け祭の曳き物」や「相馬野馬追騎馬武者」や、「地元の氏子神輿」が行列に加わり、数千人規模の大行列となった。
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【一の宮鳳輦】
大己貴命(おおなむちのみこと)・・・だいこく様をお乗せする鳳輦。
だいこく様は縁結び、夫婦和合、国土開発・経営、医療・医薬の神様。
大国主命(おおくにぬしのみこと)とも言う。
【二の宮神輿】
少彦名命(すくなひこなのみこと)・・・えびす様をお乗せする神輿。
えびす様は商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様。
【三の宮鳳輦】
平将門命(たいらのまさかどのみこと)
まさかど様をお乗せする鳳輦。
【諌鼓山車】(かんこだし)
江戸時代、徳川幕府の太平を象徴する山車として作られ、神田祭の一番山車を務めた。
だいこく様とえびす様が乗り、打出の小槌と鈴を手にして人々へ幸福を授けるとされる。
【獅子頭山車】(ししがしらだし)
神社境内にある狛犬やお囃子の獅子舞などと同じく、邪気を祓い清める役目を担う。
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午前八時半ごろ神田明神を出発した行列は、平将門など神社の三柱の祭神を乗せた神輿や鳳輦(ほうれん)を中心に、一日がかりで約30キロメートルの道のりを進む。
「附け祭」は、江戸時代から観客の人気を集めた出し物で、今回は昔話を再現した「浦島太郎」「花咲か爺(じい)さん」などの曳き物が登場した。
平将門による軍事訓練「野馬追(のまおい)」に由来する福島県相馬地方の騎馬武者行列も注目を集めた。
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すっかり暗くなった境内に「三柱の祭神を乗せた神輿や鳳輦(ほうれん)」が宮入して来たのは、予定通りの[19時00分]だった。
一連の「神事」を終えてから、連合宮入の一番手は「富山町」で、その後続々と宮入の神輿が入ってきたが、今夜はホンの一部分であり、明日(5/12)には200基以上の神輿が宮入するのである。
過去、境内にて2回取材しています。⇒ 2015/5 ⇒ 2017/5
「神幸祭」の全貌が分かる、「動画を用意しています」
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@・・神田祭・2019−−「神幸祭」 ⇒ クリック
A・・神田祭・2019−−「神幸祭」・「附け祭」 ⇒ クリック
B・・神田祭・2019−−「神田祭」地元の神輿も連合 ⇒ クリック
C・・休憩後に「神幸祭」は隊列を整えた。 ⇒ クリック
D・・神田明神に3基の「鳳れん神輿」宮入 ⇒ クリック
E・・神田明神に3基の「鳳れん神輿」神事−@ ⇒ クリック
F・・神田明神に3基の「鳳れん神輿」神事終了 ⇒ クリック
G・・5月11日連合神輿の宮入−@ ⇒ クリック
H・・5月11日連合神輿の宮入−A ⇒ クリック |