D90が観た画像  d90-19195

神奈川県鎌倉市浄明寺二丁目
撮影日 :  2019−6−13
鎌倉の苔寺・苔庭『旧華頂宮邸』
報国寺の脇道を2〜300メートル進むと、突き当たりに「鉄の門扉の奥に洋館」が見える。
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この建物は、昭和4年に華頂博信侯爵邸として建てられたもので、「華頂宮家」が住んでいたのは2年ほど。
その後何度も持ち主が変わっており、戦後はアメリカ軍の宿舎となった。
平成8年鎌倉市が取得し、平成18年に市の景観重要建築物、国の登録有形文化財(建造物)に指定された。

現在、鎌倉に残る洋館としては、「鎌倉文学館」と「古我邸」とともに『鎌倉三大洋館』との名所になっている。
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華頂宮家は、皇族である伏見宮邦家親王(ふしみのみやくにいえしんのう)第12王子博經(ひろつね)親王によって創設された。
その伏見宮家の分家にあたる博經親王は、明治元年(1868年)に勅命(ちょくめい・天皇の命令のこと)により俗世間(一般の生活)に戻って一家を創り、京都の知恩院(ちおんいん)の山号「華頂宮」にちなんで華頂宮の称を賜った。

博信侯爵は、大正15年(1926年)に、明治憲法下で皇族以外の臣籍(しんせき:皇族でなくなること)身分に下って華頂の姓を賜り、侯爵の位を授けられ祭祀(さいし・神や祖先をまつること)を継ぐことになったそうだ。
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建物内部は、4月の第一土日と10月の第一土日(令和元年10月5日(土曜日)、6日(日曜日))に一般公開される。

フランス式庭園だけは入れるが、南側に位置する無為庵(茶室)は、建物内部の一般公開日以外は入れない。
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無為庵(茶室)は、昭和46年に東京・上大崎から移築されたもので、造られたのは昭和初期以前のもの。
もう一つの移築物である門は、茶室と同じく昭和46年に移築されたものだが、造られたのは昭和初期をさらに遡るものとか。
薬医門の冠木(かぶき)の両端部に獅子の彫刻をもち、通常の住宅の門というよりも、寺院のような立派なものとなっている。

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