D90が観た画像  d90-19197

神奈川県鎌倉市山ノ内 1402
撮影日 :  2019−6−17
鎌倉の苔寺・苔庭『金宝山浄智寺』
臨済宗円覚寺派・『淨智寺』が創建された十三世紀の終わり頃の鎌倉は、北条氏の勢力が極めて盛大で禅宗が栄えた時期であった。
淨智寺は、鎌倉五山の第四位である。  現在の建長寺や円覚寺と同等の規模を誇っていたようだ。

延文元年(1356年)の火災で,当初の伽藍は焼失したが,室町時代には方丈,書院,法堂など主要な建物や塔頭があった。
しかし関東大震災で殆ど倒壊し,現在は昭和時代に再建された三門・楼門や新しい仏殿(本殿)・書院等が伽藍を形造っている。
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鎌倉を名実ともに日本の首府とした名執権・北条時頼の三男,宗政(1253-1281)の菩提を弔うために子の師時(もろとき)が弘安6年(1283年)創建した。
実体としては、宗政の妻と宗政の兄である第8代執権・北条時宗によるものであるといわれている。
宗政は兄・時宗の信任厚く、モンゴル帝国とその手先となった中国・朝鮮による2度の侵略(元寇)においては、2度目の侵略、弘安の役に備えて筑後守護に任じられています。
弘安4年(1281年)、弘安の役は、文永の役に続いて、世界中が敵わなかったモンゴル帝国の侵略軍を日本が撃退したわけですが、その勝利に大きく貢献しつつ、宗政は同年死去。 享年29歳でした。
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鎌倉時代の最盛期には11の塔頭に僧侶総員500名を擁する大寺院で江戸時代まで規模を維持していたようだ。
参道の石段は、階段として使用できないほどすり減って形を失った現在の階段を見ると、その歴史の深さを感じる。
参道は鎌倉石という珍しい石で舗装されている。
いくつもの時代をくぐり抜けてきた浄智寺の栄枯盛衰は,過去・現在・未来を象徴する御本尊の三世仏,阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来と,重なり合ってしまう。

この寺の入口に当たる太鼓橋傍に、鎌倉十井の一つ「甘露ノ井」(かんろのい)がある。
甘露といわれるからには,水道のない時代には,さぞおいしい水だったのでしょう。

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