D90が観た画像  d90-19199

神奈川県鎌倉市扇ヶ谷 1−17−7
撮影日 :  2019−6−17
鎌倉の苔寺・苔庭『寿福金剛禅寺』
鎌倉観光する時に、JR鎌倉駅を東口に出るか、西口に出るか悩む時がある。
東口に出ると、最も混雑する『小町通り』を歩くことになる。
目的地が「扇ヶ谷」方面なら、西口に出て、細い車道であるが歩行者用の道を歩く。

しばらく歩くと、左手に、格式のある古い門(総門)が見える。
総門から中門まで、まっすぐ延びた参道の両側は、高い木々に囲まれた壁が立ちはだかり、俗世の景色から隔離される。
参道の両側は、アーチ状の柵で立入禁止、木々の根元は苔で覆われている。
石畳の参道を、靴音を響かせながらゆっくり歩いていると、なんだか自分が特別なところに 来たような気になる。
日中は往来する観光客で、本来の静かな雰囲気を伝えられような写真にならないが、17時20分を過ぎると観光客も入って来ない。
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「寿福金剛禅寺」は、臨済宗建長寺派で鎌倉五山第三位の格式だが・・・・現在の観光客は知る由もないだろう。
源義朝(頼朝の父)の館跡といわれるこの土地に、源頼朝亡き後、正治二年(1180)義朝の旧邸跡に中国より明菴栄西を招いて創建。
三代将軍源実朝もしばしば訪れ、栄西や弟子の退耕行勇と法談を交わしている。
栄西は茶の苗を中国から持ち込み、「喫茶養生記」という茶の効能を説いた書物を著したことでも知られ、実朝にも喫茶の習慣をすすめたといい、寿福寺にはこの『喫茶養生記』が一冊伝わっており、国の重要文化財に指定されている。
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創建当初は総門・仏殿・庫裡・方丈を擁していたものの小規模だったが、宝治元年(1247)や正嘉二年(1258)の火災を経て、弘安元年(1278)頃に十数か所の塔頭を擁する大寺となり、室町時代には鎌倉五山第三位に列せられるなど高い寺格を誇ったが、応永二年(1395)と応仁元年(1467)に火災に遭って多くの建物を失い、その後は衰退を余儀なくされた。

参道を中門まで歩き、左手の小道を進むと墓地に辿り着く、崖際には、昔に掘られた「やぐら(横穴式墓地)」が幾つかある。
その中に、源頼朝の妻『北条政子』のお墓と『三代将軍源実朝』のお墓がある。

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