D90が観た画像  d90-20160

東京都青梅市御岳山
撮影日 :  2020−8−22
武蔵御嶽神社と大口真神神社
日本三御嶽の一つに数えられ、長野・岐阜両県境の御嶽神社(木曾の御岳)を「雪の御嶽」、山梨県甲府市・金櫻神社(甲州御岳)を「花の御嶽」、当社(武州御岳)を「月の御嶽」と称する。

紀元前91(崇神天皇7)年、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)が東方十二道平定の時、大己貴命・少彦名命を奉斎したのが創建とされる。
天平8年(736)、行基上人が東国鎮護祈願のため蔵王権現像を彫刻し安置したと伝えられる。

延喜式神名帳に記載された武蔵国多摩郡大麻止乃豆乃天神社の論社でもあり、修験道の聖地・霊山としての歴史は古く、金峰山御嶽蔵王権現の名によって信仰を集めた。

鎌倉時代には有力武将からも崇敬を集めており、特に鎌倉幕府の有力御家人であった畠山重忠の崇敬は篤く、国宝指定の赤糸威大鎧をはじめ鞍・太刀などが奉納されている。

本殿の奥には、日本武尊が山中で難にあった時にオオカミが助けたとされ、オオカミを祭った“大口真神(オオクチマガミ)神社”があり火難・盗難、また厄除けに効く神社として知られています。

延文4年(1359)には関東管領・足利基氏による社殿の修築があり、永世8年(1511)に三田弾正忠平氏宗により社殿が造営された。
天正18年(1590)に関東に移封となった徳川家康は朱印地三十石を寄進したほか、慶長11年(1606)には大久保石見守長安を普請奉行として社殿を改築している。
この時、それまで南面していた社殿を、江戸城守護のため東面するよう改められた。

山上には、江戸時代より続いている御師(御祈祷師)の家が建ち並び、他の山とは違う独特の景観があります。
御師は、関東一円に広がる信者(講中)が参拝する際には祈祷をおこなったり、宿坊として信者をもてなしたりしています。

参道には杉並木があり、790本の杉が大木になっている。