寛文二年(1662)江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による「復興開発事業の土地」に、本所の町を、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように、現在の社地を寄進した。
そして、大宰府の社にならい社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを造り、以来約350年後の今日まで「東国天満宮の宗社」として崇敬されてきた。牛像は、一体だけだが顔や鼻や角だけでなく、体中が信者によって撫でられて、光っていた。
亀戸からは東京スカイツリーも、ちょうど良い高さになり、拝殿との収まりもよく、写真写りもいい感じ。 |