D90が観た画像  d90-21029

東京都日野市百草560 京王百草園
撮影日 :  2021−2−10
「百草園に咲く500本の梅の花」
京王線の「百草園(もぐさえん)」駅で下車すると、目の前には広い道路が走っており、約150メートル進むと、「京王百草園の看板」が出ている。
ものの、100メートルほど歩くと、上り坂があり、標高140メートルの中腹まで上りは続き、息を切らしてやっと、山門にたどり着く。
入園料金を支払ってから、石段は続き、メインの「寿昌梅(じゅしょうばい)」を見ながら、「松連庵(しょうれんあん)」へさらに、山頂までは、標高20メートル余りある。

「百草園」の歴史は長い。・・・平安時代末期から鎌倉時代にかけて、鎌倉幕府の御願寺であった真慈悲寺が百草地区一帯にあったと推定されているが、その後、「松連寺」が建立されているので、歴史は江戸時代が直近のこととなる。
----------------------------------------
江戸時代の享保年間(1716年〜)、小田原城主大久保候の室であった寿昌院慈岳元長尼が徳川家康の長男・信康追悼のため当地に松連寺を再建しました。
その後、時代を経て作られたのが京王百草園です。園内の有名な「寿昌梅(じゅしょうばい)」は寿昌院自ら植樹したと伝えられています。
梅の開花の季節には約50種500本の梅たちが咲き競い、園の華やかさも最高潮に達します。
当地は江戸近郊の名所として「江戸名所図会」などにも紹介され、徳冨蘆花、大田南畝、田山花袋、北村透谷、若山牧水らが訪れています。特に若山牧水はこの地で恋人小枝子との失恋を歌にし、「独り歌へる」をつくりました。また園内には牧水の長男・旅人氏設計の歌碑、松尾芭蕉の句碑も木々の緑の中に佇んでいます。
----------------------------------------
今の時期には、「ロウバイ」、「白梅」、「紅梅」、「水仙」、「福寿草」、「オウバイ」、「寒咲アヤメ」が咲いていた。