D90が観た画像  d90-21044

東京都台東区上野公園13−9 東京国立博物館
撮影日 :  2021−3−10
前川家伝来の雛人形と雛道具
2018年までは、よほど個人的な繋がりのある人しかお目にかかれない「雛人形および雛道具」でした。
しかし、2019年に『前川富士子氏』から東京国立博物館へ寄贈されたもの。

前川家伝来の雛祭りは、安政7年(1860)に誂えたことが明らかな基準作です。
その特徴は、雛人形が京都製であるのに対し、雛道具が江戸の地で作られたことにあります。
極めて精緻な雛道具の数々は、江戸における雛道具の工芸的な完成を示す好例です。
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関東大震災で焼け野原となった東京小石川区大塚窪町に、前川氏の祖父が明治26年(当時個人銀行東京銀行の頭取)から住み続ける。
そして前川氏の父は、総理大臣を三度も務められた近衛文麿氏や西片町一帯に屋敷を持たれた福山の大名の子孫阿部正直氏や醍醐忠重中将や牧野伸顕氏の子息牧野伸通氏や大久保利通子孫や大蔵大臣、宮内大臣を歴任した石渡荘太郎氏や裁判官の上田操氏などが、友達だとか。
この時、前川氏自身は14歳で、中学の勉学を断念させられ学徒動員として文京区の共同印刷工場へ終戦迄の空襲下の東京の真中で懸命にお国の為働いたとか。
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さて、ここからは私なりの推測である。
祖父は、京都製の雛人形を買い求め、東京製の雛道具を買い求め、それらが、関東大震災の大火災では土蔵で類焼を免れ、東京大空襲では奇跡的に焼けずに、運良く今日まで生き延びたのだろう。
カラフルな道具の文様には、牡丹唐草文や「大」字形をした牡丹模様を特徴とした「七澤屋物」の雛道具も、「源氏物語」の蒔絵を施した雛道具については浅草の「武蔵屋」の製品の可能性が考えられるとか。