D90が観た画像  d90-21065

新潟県村上市三の丸
撮影日 :  2021−3−19
武家屋敷・若林家住宅
若林家住宅は、今を遡る事、二百数十年前から明治期まで、村上藩士若林家とその子孫の生活の舞台であった建物である。
若林家が、村上藩内藤家(5万石)に召抱えられ、内藤家中の中級上位の藩士として、大目付、長柄(ながえ)奉行、普請奉行、町奉行、三条奉行などの要職に就いている。
天明七年(1787)の「越後村上分限帳」では、筆頭家老から12番目、「者頭(ものがしら)」の項に下記のような記述がある。
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一 百五拾石                      若林七太夫
  一 金三両弐分二人扶持                          小頭 野崎文吉   
  一 金三拾七両参拾四人扶持  内弐両弐分取六人    足軽十七人  
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150石者頭(150ごくものがしら)役で、17人の足軽を指揮していたことが知られる。

「村上藩士一覧表」には、足軽まで含めた総藩士731人の家臣(内石取(こくどり)藩士は約150人)の上から54番目(石取藩士の中級上位)に記されている。 では、「若林家の家禄」・・・実収入はどれほどだったのか。
百五十石(375表)扶持の場合、百五十石は名目収入で、実収はその四割(四公六民)の六十石(150表)になるはずであるが、さらに六十石(150表)から次のようなものが天引きされた。
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   53表 歩上・・・・・・・急迫した藩財政への協力金
    5表 催相出米・・・江戸屋敷詰の生活費の協力金
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最後に残った92表が、本当の実収入となる。
92表(36.8石)は、現代のお金に換算すると、およそ1000〜1200万円くらい。

話は変わるが、この住宅は「国の重要文化財」に指定された。
建築されたのは18世紀の末頃と推定され、大正14年に7代当主安藤氏が亡くなってからは、親戚知人が何度か入れ替わりながら使用。
しかし、建物本体は破損が甚だしく、昭和61年から一旦全部解体して、文化庁の許可を得て、ほぼ建築当初の姿に復元されたが、総事業費は1億450万円かかった。