D90が観た画像  d90-21067

新潟県村上市寺町3丁目
撮影日 :  2021−3−19
日本一の白壁土蔵造りのお寺
浄念寺の本堂は、過去2回火事で焼失しているため、防火を重視して、当時江戸で流行っていた土蔵造りになっているもの。
建築は村上の宮大工の手で行なわれましたが、江戸で建築案が練られたことが所蔵の文書で判明している。

現在の浄念寺本堂は文化15年(1818)に建てられたもので、土造2重2階、切妻、桟瓦葺、妻入、桁行19.3m(11間)、梁間15.6m(9間)、正面1間向拝付、村上市では珍しい大型土蔵寺院建築で内部の天井が高く吹き抜けで、2階部で回廊が廻り、外観正面に唐破風向拝には精緻な彫刻が施され見所の多い建物である。
本堂の建設にあたっては、間部詮房の百回忌の事業として鯖江藩主間部家(間部家は村上藩から鯖江藩へ移封)と村上藩主内藤家の寄進によるものが大きく、江戸藩邸で両家臣が打ち合わせした事が記録に残っていて当時の江戸城下の建築技術を取り入れたと考えられている。
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浄念寺の創建は室町時代の明応年間(1492〜1500年)に、浄念が草庵を設けたのが始まりと伝えられています。その後衰退しましたが天正19年(1591)春日元忠が再興、元和4年(1618)に堀直寄が村上藩に入封し、村上城の拡張や城下町の整備が行われた際、浄念寺(当時は常念寺)も寺町に集められたと思われます。さらに寛文7年(1667)、当時の藩主榊原政倫が珂碩上人(江戸時代の高僧、浄真寺開山)を招き榊原家の菩提寺としています。
元禄2年(1689)には松尾芭蕉と曽良が奥の細道行脚で村上を訪れ、藩主の菩提寺で珂碩上人縁の寺院で榊原家の家老榊原一燈公の墓があったこともあり浄念寺(当時は泰叟院)を参拝しています。榊原一燈は曽良が長島藩に仕えている時代の藩主松平良尚の3男松平良兼の事で、当時の村上藩の筆頭家老だった榊原家の婿養子となり貞亨4年(1687)7月29日に死去し浄念寺(当時は泰叟院)に葬られています。享保2年(1717)に村上藩主となった間部詮房は六代将軍徳川家宣と七代家継に仕え所謂「正徳の治」を断行した人物で、側用人(老中格)など幕府の要職を歴任しましたが八代将軍に吉宗が就任すると政争に破れ事実上の左遷として村上藩に配されました。享保5年(1720)、詮房が村上で死去すると菩提寺である浄念寺に葬られ境内には墓碑と御霊屋が設けられました。
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さて、珍しい「白壁土蔵造りのお寺」を見たついでに、「小町」通りや「寺町」通りを歩いてみると、真新しい「駒札」に、お寺の歴史や誰の菩提寺かなどが要点よく書かれており、興味を抱くものとなっているが、本堂の扉を開けて入るには「信仰心の薄い私にとって」は中へ入りづらかった。