D90が観た画像  d90-21093

東京都大田区池上2−2−13
撮影日 :  2021−5−20
池上梅園の「座論梅」の本当の意味
今日(5/20)は、池上梅園の「座論梅」の梅の実を見に行った。
ネットで調べても「座論梅」では、ありきたりの「梅の花」を紹介しているだけで、私の心を満足させていない。
現地を取材して見て、じつは重大なことが分った。  石碑を撮影すると、右上に「実座論」とあった。
ところが、「実座論」では、要領が得ず、「実在論」なら、なんとなく理解できそうだった。
------------------------------
池上梅園は個人の持ち物だったが、ご遺族の意思により、庭園として残すことを条件に東京都に譲渡された。
梅の愛好家の野村さんが中国から持ってきた座論梅を株分けし、池上梅園に寄贈したのだ。
そもそも、中国賢人とは、「老子と孔子」である。  「実在論」では、双方は異なる考え方を持つそうだ。
-----------------------------
経済評論家・ビジネスドクター  芦屋 暁(あしや さとる)氏の言葉を借りると、

孔子は秩序の維持を最重視し、「礼」を理想の秩序、「仁」を理想の道徳とし、最高権力者である君子や指導者、父母や年長者への尊崇の念と忠義・孝行を以って理想は絶対に達成し得ると説き、その厳格な「知・勇・仁・信・厳」の実践を推奨し、自分の考え通りにやれば必ず成功すると各国の長に自分を売り込んだように、大変な自信家であり、支配者の影の参謀として仕官し、立身出世したいとの意図を腹中に秘めた権力志向の強い野心家でもあった。

老子は、当時の中国の指導者や民衆の教養レベルが、まだまだそういった理想的高水準になじめない程度であることも認めて嘆き、自分は、母なる大自然を尊重し、その摂理から学び、それを日常実践することを望み、仕官や立身出世、名声、蓄財などを望まず、権威や権力に迎合もせず逆らいもせず、是々非々を率直に述べ、春風駘蕩、あるがままの自然体で振る舞い、為政者に対する教育助言でお抱え御用学者となるより、その圧制や権力闘争の動乱で苦しめられている庶民のための救援に重点を置き、そのような状況下でも、これに面と向かって逆らわず、巧みに交わして、しなやかにしぶとく生き抜く術を身につけさせる啓蒙教育を進めたいと望んだ。
-----------------------------
と言うわけで、東京の池上梅園にある座論梅を単なる花だけを見るのでなく、「実座論」の意味合いを知るとより、梅の花の後、実が熟すまで座論を続けている事に愛着を感じる。