D90が観た画像  d90-21107

神奈川県秦野市堀山下1075  蔵林寺
撮影日 :  2021−6−18
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小田急線の渋沢駅から大倉行きの路線バスの終点の2停留所(蔵林寺)前を通った時、土手のあじさいが見事だった。 帰りに寄って見ようと予定に入れた。

米倉氏は、甲斐国(山梨県)の出身で、八代郡米倉郷(笛吹市)の地名から米倉姓を名乗ったとされている。 戦国時代、武川(北杜市)の国衆として甲斐武田氏に仕えていましたが、武田氏滅亡後、徳川家康に召し抱えられた。天正18年(1590)、家康の関東入国の際、米倉清継は堀山下村内に二百石の領地を賜っている。

清継の孫の昌尹(まさただ)は、将軍綱吉の時代、幕府の要職を務め、元禄3年(1690)従五位下丹後守に任ぜられた。元禄9年(1696)には若年寄になり、武蔵国、上野国などに領地を賜り、旗本から一万石の大名となった。
さらに元禄12年(1699)、相模国や武蔵国、下野国などに領地を賜り、下野皆川藩一万五千石の藩主となった。
その後、米倉氏は陣屋を武蔵国久良岐郡(横浜市金沢区)に移し金沢藩(六浦藩に改称)藩主となっている。
秦野市堀山下にある蔵林寺には、江戸時代の大名米倉氏の墓所があり、現在も初代から15代までの当主一族の墓石20基、石灯籠23基、家老塚1基が残っている。

ところで、入口にある「不許葷酒入山門」と石に彫った碑文だが、禅宗のお寺に多いといわれている。
《くんしゅさんもんにいるをゆるさず》と読む
(「葷」は韮(にら)・葱(ねぎ)・大蒜(にんにく)などの香りの強い野菜)。 
強い香りの野菜と酒は禅僧の修行の心を乱すもとになるから、寺の境内に持ちこんではならぬことをいう。