D90が観た画像  d90-21136

神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-16-3
撮影日 :  2021−9−21
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太田道灌の死から100年、関東の支配者になった徳川家康は、「鎌倉」の復興に努め鶴岡八幡宮や神社や寺院の再建を助け、また没落した関東の名家の救済にも力を入れた。道灌5代の孫、重政も招かれたが、当時は京都に滞在していたため妹のお八が代って江戸城に参上した。これが家康の夫人になる奇縁となった。
家康の寵愛を受けたお八は、名をお梶と改め、戦場にまでお供した。すると、家康軍は連戦連勝、関ヶ原合戦の勝利を祝って縁起のいい「お勝」の名を賜った。
慶長12年(1607)お勝は一女に恵まれた。しかし、一姫と名付けられた子は4歳で亡くなった。  そこで家康は、悲しみに沈むお勝の方に、水戸頼房の養育を命じた。  これが徳川御三家の一つ水戸徳川家の基礎を築く。
元和2年4月(1616)徳川家康逝去。 お勝の方は出家し、名を「英勝院」と改めた。 それから20年、還暦に近づいた英勝院は太田家ゆかりの鎌倉扇ヶ谷に居を構え、水戸頼房の娘の小良姫が住職として寺に入る。
以来、英勝寺は水戸家の御寺と称えられ、370余年の歴史を重ねてきた。

尼寺として花畑、菜園、樹木園など自然を大切にしており、今も、名木や古木、四季の草花が境内に潤いを与えている。