D90が観た画像  d90-22003

東京都港区南麻布 4−2−35
撮影日 :  2022−1−3
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渋谷駅東口の都バスで「新橋駅前行き」に乗り、「天現寺橋」で下車1分で天現寺に着いた。
地下鉄なら、「日比谷線の広尾駅」から徒歩7分の場所だ。

さぞかし立派な山門を構えているかなと思いきや、大通りに面した入口には、扉のない門柱があるだけで、大通りから内部の建物が丸見えであった。
文京区の小日向にあった臨済宗大徳寺末の普明寺を引継ぎ、享保四年(1719)現在地に移築して多聞山天現寺と改めた。
当寺は多聞山の山号が示すように、本尊として毘沙門天の像(樟の丸木作り、高さ103.5センチメートル)を奉っている。
縁起書(天現寺蔵)によると聖徳太子の御作と記され、家康公の生母於大の方も深く信仰していた。
八代将軍吉宗公を初めとして代々将軍家の御成があり、広尾の毘沙門堂として人々の信仰を集めていた。
弘化二年(1845)江戸大火に類焼し、その後、住職の活動で除々に諸堂宇の復興をされ、本堂も改築されたが、第二次世界大戦の為に全焼した。
やっと、昭和四十二年になって現在の姿となったのである。

さて、狛虎だが、境内には、二つの建物があった。
右は庫裏、左は本堂。
庫裏の狛虎は、台座の年号は明和三年(1766)、右側の虎は顔も平面的で、閉じた口元も波状になっていて愛嬌がある。
一方、左側の虎は、正面を見据えており、顔つきも立体的で表情に力強さを感じ、肩甲骨をぐっとせりあげた姿勢も生き生きとしていた。

もう一組の狛虎は、本堂・多聞天の前、台座の年号は、天保六年(1835)、虎に対する見方もだいぶ時代検証がなされ、虎の縞模様もあり、太い尻尾も一度立ち上がり、手前のほうへ流れる曲線も見事である。