| 地元で呼んでる愛称 | 芭蕉塚の山桜 |
| 桜のデーターベース (単位はmです) |
花の種類:ヤマザクラ 推定樹齢: 樹高: , 幹回り: 枝張り 東西: , 南北: |
| 桜を取り巻くイベント | |
| 大凡の満開日 | |
| 訪ね方 | 築上町から豊前市へ通じている県道32号線の両市町の境界、標高580mの次郎坊峠にある赤い天狗橋付近に芭蕉塚の標識が出ている。芭蕉塚は峠から西へ450m、よく整備された山道を下る。 |
| その他 | 天明3年(1783)、ここ寒田(さわだ)の乳呑坂(ちのみざか)で芭蕉の没後90年に伊勢和睡(いせわすい)という人が門弟を指導していた 扇会の句会が催され、その記念に建てた句碑です。 こ(木)のもとに 汁も膾(なます)も さくらかな この句は芭蕉が元禄3年(1690)に伊賀上野の小川風麦亭で詠んだ歌仙40句の発句で、花見の宴の汁にも、なますにも、何もかもに桜 の花が散るさまを詠んだ句です。句碑は寒田の山中に6本の桜の古木を背に立っています。 松尾芭蕉は九州へ来たことはない。江戸から遠く離れ、しかも当時は交通不便な土地だった思われる寒田で句会が催され、 求菩提山への山道が今ほど整備されていなかったであろう山中に句碑を建てた。 一方、句碑建立より200年くらい前、黒田官兵衛主従がここで花見をしたという記録があるそうで、官兵衛は宇都宮氏を忙殺 したことを悔やんで歌を詠んだ。 山ふかく 分け入る花の かつ散りて 春の名残も けふの夕暮 江戸時代、ここが桜の名所として知られていたことから句碑を建てたのではないだろうか。 |