漆喰芸術・西伊豆の松崎を歩く

日本随一の漆喰芸術の美術館

「伊豆の長八」の本名は、『入江長八』という。
文化12年8月5日(1815年)伊豆国松崎村明地に、父・兵助、母・てごの長男として生まれた。
12歳の時、同村の左官
頭領・関仁助のもとに弟子入りし、19歳の時江戸に出て、日本橋の左官頭領
・波江野亀次郎に身を寄せて修行に励んだ。  絵は狩野派の喜多武清に学んだ。
かたわら彫塑の技を修めている。
晩年は、東京・深川に住み、明治22年、75歳で名工一代の幕を閉じた。
長八の代表作品は、日本橋薬師堂の登り龍・降り龍、深川の閻魔堂、鮫洲の鰻屋、
品川の土蔵相模、浅草観音堂、目黒祐天寺、成田不動尊、などがあったが、
関東大震災で東京の遺作は消失してしまい、かろうじて、品川の善福寺と、寄木神社と、千住橋の
稲荷神社に残る。
生まれ故郷の静岡県では、三島の龍沢寺、松崎の淨感寺、春城院、岩科学校の「千羽鶴」が残っている。
長八の作品は、江戸から、故郷の親戚・知人などに手渡されていき、
現在、「長八美術館」に、約六十点が集められ、展示されている。

下記の写真は、漆喰芸術の完成までの製作段階である。下絵書き、白土を塗り、着色していく。
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(1)下絵

(2)縁取り (3)漆喰のせ
(4)漆喰塗り (5)顔料着色 (6)完成作品


国指定重要文化財・岩科学校

明治十二年四月に着工、翌年の九月に完成の、松崎特有のなまこ壁を
活かした社寺風建築様式とバルコニーなど洋風を取り入れた小学校で有る。
甲府の旧睦沢学校(明治八年)、松本の旧開智学校(明治九年)に次ぐ古さ。
正面玄関の扁額は、時の太政大臣・三条実美の書であり、
その上の木彫りの龍は入江長八の作品、二階・西の間の日本間にある欄間には、
入江長八の「千羽鶴」は、美濃紙と漆喰を混ぜ合わせて肉付けして仕上げている。

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中瀬邸

明治初期、呉服商家として建てられた中瀬邸である。
松崎文化を象徴する時計塔、漆喰仕上げの蔵の扉の「龍とトラ」が有る。
蔵の扉の「漆喰細工」は、現代の左官・山本さんの作品である。

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日本に一つしかない漆喰の五百羅漢さん

西伊豆町にある照嶺山東福寺の本堂の天井絵は漆喰作りで、
すべてが膨らみのある作品である。
檀家の佐野さんが、両親の供養のために、大正末期に、浅草の左官職人の
「田村利光」(通称:のん兵衛安さん)をつれて帰り、五年間かけて完成させた
「五百羅漢」は日本で唯一つしかなく、「招福の龍」は今でも飛び掛ってくるようだ。

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