第48話 坂本龍馬暗殺事件
慶応三年(1867)十一月十五日、午後9時過ぎにこの事件は起きた。
市中見廻組組頭の佐々木只三郎と今井信郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助、
土肥仲蔵、桜井大三郎の7人の刺客が土佐藩邸に程近い『醤油屋・近江屋新助宅』を
取り囲んだ。
坂本龍馬は、材木商・酢屋嘉兵衛方に下宿していて、10日前、この『近江屋』に宿替えした。
事件当日の十五日、午後から「三条大橋の乱闘事件」で新撰組に捕らえられた元・土佐勤王党の
宮川助五郎の身柄引取りの処置について、坂本龍馬、中岡慎太郎と岡本健三郎の3人が話し合った。
岡本が帰った後で近江屋の2階に居たのは、坂本龍馬と中岡慎太郎と龍馬の下僕である藤吉の
3人だけである。
見廻組組頭の佐々木は一人で土間に入り、2階へ大声で来意を告げた。
藤吉が2階から降りて来て、応対に出ると、土間に一人の武士が立っており、
「十津川郷士の者だが、坂本先生ご在宅ならば、お目にかかりたい」と、手札を渡した。
藤吉が「はい」と、手札を受け取り、2階への階段を登っていったので、刺客達の内、
今井、渡辺、高橋が入り込み、藤吉の後を追い、藤吉が階段を上り詰めたところで太刀を浴びせ、
絶命させた。
藤吉の倒れた音やうめき声が、龍馬には藤吉と菊屋の峰吉が相撲でもとって騒いでいるのかと思い、
『騒ぐな!』と、怒鳴った。
龍馬の居場所を知った刺客は、そのまま雷光のように奥の間に飛び込み、坂本龍馬の前額部を、
中岡慎太郎の後頭部を鋭く斬撃した。
二人は、不意打ちに、愛刀を抜くまもなく、龍馬は頭を割られ、中岡は全身11箇所に傷を受け
ついに倒れた。
この「近江屋襲撃事件」はわずか数分の出来事であった。
坂本龍馬は、十五日に絶命、享年33歳。
藤吉は、翌十六日に落命。
中岡慎太郎は、翌々十七日に落命、享年33歳。
激動の世の中を、新しい日本を作るのだと、精力的に東西奔走した龍馬と、中岡の意思を
継いだ後の人達によって、日本各所に彼らの銅像が建立された。
京都円山公園、京都霊山、高知の桂浜、長崎から、その銅像の目線は京都を向いている。