第49話  芹沢 鴨の生家を訪ねた

NHK大河ドラマで気になる人物がいる。  近藤勇の宿敵であった水戸一派。
歴史を後世に語れば、主役と悪役が生じる。
・・・・もしも、近藤勇と、芹沢鴨の立場が逆だったら、・・・・・

芹沢鴨の銅像は無い、墓石も京都の壬生寺にしかない。・・・なぜ、生誕地に無いのか?

噂によれば、土方歳三の生誕地『日野市』の町おこしに行政が出したお金は、7億円。
一方、悪役の芹沢鴨の生誕地『茨城県玉造町』の町おこしに行政は400万円しか出ない。

当然のことながら、イベント会場は寂しく、町中も幟旗は数えるほどしかない。
某メーリングの掲示板で知り合った地元の新選組実行委員会隊士に招かれ、玉造町を訪ねた。
海老名市から片道4時間の小旅行となった。

3月12日にオープンした『新選組水戸派史料館』を、3月21日を覗いてみた。
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玉造の大山守・大場家は、広大な領地を持っており、お屋敷の一部を水戸藩の出先事務所に
貸していた。
芹沢鴨のご先祖も室町時代から住んでおり、『芹沢城の城主』であった。
芹沢鴨の生家である「芹沢家」も立派なお屋敷である。・・・子孫は、石岡市に越して、空き家だった。

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芹沢家の菩提寺を訪ねてみた。
お寺の境内に、急場こしらえの「顕彰碑」が建てられていた。
ご先祖で、万福寺の阿弥陀堂に「龍の天井絵」を奉納していた。

「芹沢鴨の銅像が無い」・・・・一般的には、写真または、肖像画が残っている場合は
地元の後援会などが募金活動をして、建てているようだ。
芹沢鴨の新撰組としての活動時期は短く、地元への貢献度も無いに等しい。

「芹沢鴨の墓石が無い」・・・・子孫は、県会議員までなっているのだが。
芹沢鴨自身が三男坊であり、昔のしきたりで言えば、他家の養子に出るか、分家するので、
本家の墓地に埋葬されるはずも無いだろう。ましてや、
水戸藩からは遠い京都の地で新撰組に殺害され(享年34歳)、亡骸は実家に戻っては来なかった。

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往復8時間の旅である、地元の青年の車に乗り込み、3時間ほど、玉造町を案内してもらった。
霞ヶ浦の北側の土地は、徳川が領地とする前には、『佐竹の殿様』が統治していた。
その為、古刹のお寺が多い。・・・・早速、『龍の彫り物探し』に出かけた。

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JR石岡駅で「鹿島鉄道」に乗り換えた。
やけに「油臭い車両」だった。
聞けば、鉄道マニアが集まる場所と聞く。
「石岡機関区」と、言うそうだ。

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・・・おしまい・・・