第52話  松本捨助の墓参り


またしても、NHKさん、3月28日のエンディングで新情報を流してくれた。
ドラマの中で、滝本捨助の実在モデルが府中生まれの「松本捨助」さんであると。
インターネットで検索したら、東京都府中市の本宿共同墓地にお墓があった。

・・・・・・ ところで、私の過去にこんなエピソードがあり、
      ちょっと、胸をときめかせました。 ・・・・・・・・・

今から、27〜8年前の昭和53年頃、我々の職場に親会社のT社・府中工場から、
「松本部長」が天下ってきました。

そして、NHKのエンディングを見た数日後の4月1日、いつもの食堂での新撰組話、
27年前を知る仲間と、思い出話をした。

******************* 松本部長、知ってるかい。******************

松本部長はお酒が入ると、「うちは昔、甲州街道から、多摩川まで、土地があったぞ!」

当時、課長だった、OBに、午後、早速電話してみた。
課長いわく、マージャンの卓を囲んで、いろいろな話を聞いたよ。
大地主の松本さんが売り物だった、とか。・・・ただし、婿さんなんだけどね。
今でも、年賀状のやり取りをしているのでと、・・・住所と電話番号を教えてもらった。

早速、夕方、松本さん宅に電話する。
で、明らかになったことは、

1.NHKの「新選組」は見ていない。
2.先祖に松本捨助、聞いたこともない。
3.大地主だけど、多摩川までは、大風呂敷だよ。
4.お墓は、「本宿共同墓地」だよ。

4月1日は、エイプリルフールとは言え、電話を終わってから、虚脱感に襲われた。
胸のときめきが、音を立てて崩れていった。

それから、タウンページの電話帳で調べてみた。
府中市には、松本姓の者が217名いた。
住所を自宅のある本宿町と、共同墓地のある西府町に絞り込んでも、松本姓は45名いた。

****** 4月4日、府中市郷土の森博物館に行く。 その足で、共同墓地にも行った。************

******* 松本捨助のプロフィール *********

弘化二年(1845)四月二十四日、武蔵国本宿村・松本友八の長男として生まれた。
天然理心流を学び、文久三年の「浪士組」に参加を希望するが周辺の反対に遭って断念。
十一月頃に京都まで行き、近藤・土方に入隊を直訴したが、「長男は故郷に帰って家を継げ」と
断られた。
土方歳三の甥を里子に迎え、
慶応四年(1868)近藤らが「甲陽鎮撫隊」として甲州に向かう際に入隊を許される。
勝沼での戦いに敗れ、土方と行動を共にし、五兵衛新田から、会津に入り、会津の戦争に加わった。
八月の母成峠で敗れた後、仙台で離隊して、郷里に戻った。

維新後は、松本家の里子になっていた土方錠之助に家督を譲り、井上源三郎の姪のモトを後妻に
迎えて、東京牛込に住み、その後は、三河の渥美郡や名古屋で米殻商を営み、
晩年は八王子に暮らした。

大正7年4月6日に死亡。  享年74歳。
墓所は「本宿共同墓地」  法名は、「本阿院鐵心義光居士」

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冷たい雨の降りしきる中、60*40平方メートル墓地の中にある「松本家」・・20基以上ある。
とうとう、見つからずあきらめた。

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・・・おしまい・・・