第57話 王政復古の大号令

徳川第14代将軍の座を争って、敗者となった一橋慶喜であったが、
朝廷の圧力により、一橋家当主となり将軍後見職に就いていた。

慶応二年(1866)七月に、将軍家茂が21歳の若さで亡くなった為、
将軍不在のまま5ヶ月ほどが経ち、

慶応二年(1866)十二月五日に、一橋慶喜が徳川第15代将軍を継嗣する
ことになった。

将軍に就任してから、幕府権力の強化策を次々と打ち出したのであるが、
もはやかっての幕府の専制を望む藩はなく、朝廷に行政権を移させよう
とする大政奉還派と、幕府・徳川家勢力を一掃しようとする武力倒幕派が
積極的に行動していた。

もはや、弱体化した幕府を抱えていたのでは、徳川家の滅亡を招くと
判断した徳川慶喜は慶応三年(1867)十月十四日に大政奉還と将軍職の辞職を
朝廷に申し出た。

大政奉還(日本国運営の行政権を幕府から朝廷に返す)に先手を取った
徳川慶喜の攻勢に対して、武力倒幕派は、朝廷内に雄藩の藩主と倒幕派公卿
を中心とした行政府を作り、『王政復古』のクーデターを行った。

こうして、慶応三年(1867)十二月九日に、王政復古の大号令が発せられた。


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・・・おしまい・・・