第58話  近藤勇重傷を負い、新撰組を離れる


慶応三年十二月十八日、近藤勇は九死一生の重傷を負った。

二条城での軍議の帰り道、馬に乗って伏見街道の墨染辺りへさしかかった時、
高台寺党(御陵衛士)の残党の篠原泰之進を隊長とする数名の待ち伏せに出会い、
狙撃され、右肩に銃創を負った。

近藤勇は、療養のため、新撰組の統率を副長・土方歳三に託し、
自らは隊を離れ、大坂に下った。

この療養期間中に発生した『鳥羽、伏見の戦い』には参戦できなかった。

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篠原泰之進について補足しておくと、

文政十一年(1828)筑後国(福岡県)生葉郡高見村に生まれた。
安政五年六月十五日に有馬右近に随行し江戸赤羽邸に入る。
元治元年十月、伊東甲子太郎らと新撰組に加盟し上洛する。

新撰組では、諸士取扱役兼監察役並びに柔術師範だった。
伊東甲子太郎らと行動を共にして、慶応三年、御陵衛士を拝命して隊を離脱し、
高台寺塔頭月真院に移った。

鳥羽伏見の戦いでは、薩摩軍と共に戦い、後に「赤報隊」に参加、
北越、東北の戦場を転戦、明治維新後は弾正台などに出仕した。
晩年はクリスチャンとなり、明治44年6月13日 83歳でこの世を去った。

   
「赤報隊」・・薩摩の西郷隆盛の支援を受けて
         新政府軍(官軍)先鋒として年貢半減を触れながら進軍した。

・・・おしまい・・・