郷土資料館ひなまつり

2009-2-20  南足柄市郷土資料館にて撮影

農村の復興に尽力した人と言えば『二宮尊徳』の名が出てくるが、 二宮金次郎の生まれる80年前の事である。
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江戸中期の宝永4年(1707年)、富士山が大噴火した。 足柄平野には、最大3mもの厚さに火山灰が降り積もった。 特に山麓・小田原藩を流れる酒匂川(さかわがわ)は降灰の影響で川底があがり大雨のたびに氾濫、ついには川筋が変ってしまうほどの被害を受け復興は困難をきわめた。
前代未聞の状況に小田原藩はなす術もなく、復興はまもなく幕府の手にゆだねられることになる。
この難事業に取り組んだのは将軍・徳川吉宗。
小田原藩領の村々は一時天領に振り替えられた。その後幕府代官伊奈半左衛門や蓑笠之助・田中丘隅らによって酒匂川の治水かんがい工事が行われ、 足柄平野の村々は息をふきかえした。
この頃から新田開発が各地で進められ、流域の河川敷や扇状地・台地などにも開墾が進められた。復興がなった後に、小田原藩に返還された。

よって、南足柄市の郷土資料館の発足に当たっては、明治時代、大正時代、昭和時代の農機具や、生活用品の寄贈が豊富であり、現在となっては、南足柄市の貴重な財産となっており、ひな祭りの時期には「森の里のひなまつり」として好評をはくしている。